駄菓子屋さんって見かけなくなりましたよね。
私が子供の頃は、学校のそばに必ず一軒は駄菓子屋さんがあって、
学校帰りに立ち寄っては、お菓子を買い食いしたりしたものです。
駄菓子屋さんは先生達の巡回場所になっていますので、見つからない様ドキドキしながら
ゲームをしたり、もんじ焼きを食べたり。
今ってどうなんでしょう?
駄菓子屋さんがある風景って、なんだか凄く遠い昔のお話のような気がします。
それとも、自分が大人になってしまったので目に入らなくなっているだけで、
数は少なくても、今でもちゃんと存在しているのでしょうか?

私は駄菓子屋さん大好きっ子でした。
中でも「クジ引き」が好きでしたね。当てクジ、と呼ぶそうですが、
クジを引いて出た番号で色々なおもちゃが当たるクジ。
皆さんきっと一度は目にした事があるんじゃないかと思います。
お祭りや縁日の屋台とかでも見かけたりしますね。
スーパーボールとか、ゴムでできたワニとかヘビとかコウモリとか。
今にして思うと、なんでこんな物を欲しがったのかワケわからんアイテムが当たるアレです。
たぶん本当は、別にそこまで欲しかったわけじゃ無いんだけど、
クジを引いて大物が当たる、というギャンブルに惹かれていただけなんでしょうね。
でコレ、いつも一等のアイテムは、どういうわけだか必ず最後まで残ってるんですよ。
目玉商品の一等賞が最初の頃に当たってしまう事は絶対に無いんです。
クジが無くなるギリギリまで圧倒的な存在感を放ちながら鎮座しまくっていて、
そのくせ、いつのまにか無くなって、
次に駄菓子屋さんに行くと、新しいクジになっていて、そんでまた一等は最後まで残る。
不思議な話ですが、小さな子供だったのであまり疑問に思わなかったんですね。
逆に、いつも1等賞は最後まで残っているわけだから、
クジが残り少なくなったところで買い占めれば、
絶対に一等の賞品をゲットできる、なんて思っちゃったりして。
なんて素晴らしいアイデア!
もちろん子供の財力で買い占めなんかできませんから、頼るはお年玉、ですね。
お年玉を握りしめて、残り少なくなったクジを「全部買います!」って誇らしげに。
その時の駄菓子屋のおばちゃんの顔は見ていません。どんな表情でこの子を見ていたのでしょう。
絶対に一等賞が手に入る素晴らしいアイデアに酔いしれていた私が
全てのクジを引いたにもかかわらず、果たして一等の当たりクジは入っていない・・・。
ボーゼンとする私におばちゃんは表情も変えず、しれっと言い放ちました。
「あれ?一等のクジ入ってなかったね?どこかにまぎれこんじまったのかな。」
しれっと、という言葉は実生活ではほとんど使う機会が無いと思うのですが、
まぁこういうときに使うんでしょう。
その瞬間、私は全てを悟りました。
・・・なんだか夢が無いような話を書いてしまいましたが、
大きくなって世の中の仕組みを知った今、思い返してみると、
ある意味、ああやって夢を売ってたんだなぁなんて、しみじみ思ったりします。
あー駄菓子屋行きたくなってきた。
で、なんでこんな話を書きましたかというとじゃーん!
これです!

これをやります!
ちょっと無駄に長くなってしまったので詳細は別記事にて。
(画像は「駄菓子屋素材」さんよりお借りしました。)